平成26年 参拝して想う(休憩所のノートより)


             

 

先の戦争で亡くなられたたくさんの英霊に感謝申し上げます。先人の苦労の上に今の幸せがあることを有り難く思います。孫を持つ身になって平和の貴さを更に噛み締め、近隣諸国とのいざこざが一日も早く落着することを願っています。

                        H26,1,2 京都 松山

 

初めて参拝させていただきました。ありがとう,そしてまたゆっくりお休みくださいの一言です。私は英霊の魂はこの墓苑に有り決して靖国神社ではないと強く信じております。台湾の無名戦士の墓に比べて非常に質素だと感じました。台湾のように,衛兵をつけて墓地の規模も拡大すべきだと想います.

                     H26,1,12  大学院生 山本

 

我が子が国防を志した春から早五年,今小原台で士官となるべく学ばせて頂き三年目の春を迎えることができました。彼の心の中でこの恩に報いることが出来る様、日々精進出来るのもそれをここで誓ったことが大きな支えとなっているようです。ここの墓苑奉仕会に大先輩がおられるとのこと、その方から励ましの言葉をいただいたこともありががかったと語ります。父としてできるのはこの地に赴き、みたまに御礼することしかできませんが今年も伺えたことに感謝したいと想います。

                 H26、1、17  長野県 江端.

 

 

新年に御霊に会える喜びよ 千鳥ケ淵におしどりの群れ

                H26、1、18 浅羽

 

 

ここに訪れると戦争の苦痛を感じられます。いつの日か国という境をなくして、全世界が平和な日々を迎えられるようお祈り致します。一人の中国人としてまず、中日の間、再び戦争を起こさないようにしないといけません。

              H26、1、19 中国西安市交通大学在学 

 

 

一人の日本人として、中国の方の思いにどう答えて行くのか考えないといけないと想います。今日初めて訪れました。ここの施設をもっともっと大きくしてゆかなければいけないと思いました。それは施設の大きな形というだけでなく、日本人の思いもたくさん詰まったものにしていかなければと想います。ここの施設の存在をもっと多くの日本人に知ってもらいたいと想います。

                      H26,1,20 大阪 坂本
 

 

私は今平和な日本で生きています。戦後の生まれです。何不自由なく生きてこられました。戦争で生きたくても生きられない方々が多数いた事に心が痛みます。これからも平和な国であってほしいと切に望みます

                      H26、1、23 渋谷 

 

 

靖国神社を参拝してから、こちらの参拝に来ました。戦没者を祀ることで政争の具に、外交の具になり一番の被害は亡くなった方々と思います。私は当時の兵隊さんたちは、靖国で会おうと死んでいったと聞いております。その気持ちを大事にしたいです。

3,16 沖縄県  山里

 

仕事で四谷に来たので、この千鳥ヶ淵に参りました。若い頃はあまり先般の戦争に関心を持ちませんでしたが、北京に住み、日々中国の人と接している今、戦争の事をよく考えるようになりました。今の日本があるのはここに眠っておられる戦没者の方のお陰によるものです。感謝の気持ちと2度と戦争を起こさせない気持ちを強く持っていきます。ありがとうございました。                         

3月  吉井

 

私は今ウズベキスタン、カザフスタンから帰ってきました。あちらにもたくさんの日本人の墓が有りました。戦争はとんでもないところに広がっていました。

                     3,27   八戸 谷田村

 

 

 

孫娘と2人でお参りしました。桜の花の下、のどかな春の日に改めて平和のありがたみを実感しました。幼い頃体験したあの様な悲惨な戦争が2度と起きな

いようにと願っています。

                      4,1 みどり

 

私は戦後生まれですが、母の苦労を見聞きしています。戦争時の父の手紙だと見せられ、言葉が詰まりました。今日有るのも父たちのお陰、それを我々は守り、安全な明るい日本に、助け合いの出来る人々を作り上げる事、思いやりの心、絶対にわすれてはならない事、しっかり教育すべきである。ありがとう、父達よ。     

4,4 

 

初めて墓苑参拝して戦没者の霊を鎮める雰囲気を感じられて安らかな気持ちになりました。靖国神社では感じられない自然の心の静まりです。靖国では全てに仰々しく一定の方向を感じさせられるのに反して、当墓苑では霊を鎮める本来のあり方が配慮されていると感じます。太平洋戦争に召集された父を、靖国に連れて行ったとき神社と記念館に入るなり戦争の現場はこんなものではない。これは美化した作り物だ・・・。と云ってそのまま出てしまったことが有りました。当墓苑に父を連れて来なかったことを大変残念に思います。世界の人々や、皇室も心おきなく参拝でき、信条や、旧敵、味方を超えて参拝できる場所を早く作らねばなりません。そのためには国民感情を無視して戦犯を合祀した靖国神社を当墓苑へ一本化しなければならない時期に来たと考えています。安倍総理の決断を促します。               

4,7 横浜  小林

 

何度かお参りさせて頂いております。25年ほど前からです。祖父は40歳を超えて、満州の満鉄から召集され体が弱かったためか戦後平壌の病院で亡くなったそうです。祖母がなぜ40歳を過ぎて体が弱いあなたが戦争にとられなければならないかと問うと黙っていたそうです。もう終戦間近の5月(昭和20年)だったらしいです。祖母は女手一つで裁縫の仕事をし、子供3人と親2人を養って来ました。今戦場体験のある方の話を聞いて記録として残していくと云う事をしています。戦争でなくなった方の命を心からお悼み、ご冥福をお祈りします。どうか安らかに。 今日は桜が美しくたくさんの人が訪れています。

                           4,8  M

 

310日の東京大空襲では10万人の市民の方々が亡くなられました。今年70回忌に当たり、310日東京慰霊堂へお参りいたしました。私の祖父はフィリピンで戦死しました。

私の家のお墓にはお骨はなく祖父の形見だけが入っております。この墓苑に毎年お参りさせていただいて15年になります。私にも子供が出来ました。その子にとって祖々父が眠るこの墓苑は伝えてゆきたいと思います。

 

 

昭和20年8月15日、北朝鮮興南にて終戦、当時10歳(4年生)以来一年余りの苦労の連続の中で多数のお友達、知人,日本への想いを果たせずに亡くなられた方々、皆さんの犠牲の上に今の平和があります。ようやくお参りすることができました。今の平和な生活を大切につないでゆきたいと思います。

                           恭子 (79歳)

 

兵庫県神戸市水木通り3-3真鍋勇飛行機のプロペラに巻き込まれて戦死、その妹丸山きみ、8月3日に97歳で天寿を全うし亡くなりました。其の報告に今日は参りました。妹、わたくしの養母、が天寿出来たのも皆様の犠牲の下です。感謝申しあげます。

                            紀子(72歳)

 

昨年も伺い、ノートに書かせて頂きました。祖母の兄が亡くなったのは1944年8月3日、ブーゲンビル島の北、ブカ島という小さな島で戦病死だとのことです。志願した軍人ではなく徴用された軍属です。又当墓苑に直接関係はありませんが、同じく祖母の姉のご主人は中島製作所でゼロ戦の製造にかかわっておりましたが、この方も空襲で亡くなってしまいました。ほかにも祖父、祖母の代では戦争と何らかのかかわりを持った人が多くそれぞれが私には到底感じたことのない不安,哀しみ,憤りを感じたのだと思います。あの大戦に意味を持たせようと様々なところで様々な人が様々なことを言っていますが、あれだけ多くの人が亡くなり、その何倍何十倍もの人間がかかわっている以上、画一的な評価を行えることはおそらく不可能なように思います。そうである以上、当墓苑は純粋な意味での墓苑(つまり先の大戦に対する評価を行わず、ただ純粋に慰霊を行う施設という意味)であり続けて欲しいと思います。

                              T・A

 

今の日本があるのは皆様のおかげと心より感謝申し上げます.これからも祖国日本を温かく見守り続けて下さい。

                             山梨 F・M

 

祖父が中国から復員し、今の私がいる。祖父の時代、同じ時代に生きた人々を想うことができるこの場所は素晴らしい清々しいところでした。何時までも平和な日本をと願わずにはいられません。

                                F・C

 

泪が止まりません。英霊に感謝

                             福岡県 細川

 

父方祖父がニューギニアで戦死したと聞いております。85歳の父も大分苦労し現在も生きています。戦争さえなかったらと思うことが多々あり残念です。やさしかった祖父の話父から聞き、私も祖父に会いたかったです。さぞ無念だったことでしょう。生まれて初めてお参りに伺いました。心が落ち着きます。平和な日本が今後も続きますように、英霊の皆さま日本の為に命を捧げて下さり、何ともいえませんが安らかにお眠りくださいませ。

                 2014,6,26   大阪 藤本

 

父の70回目の命日に参拝しました。ニューギニアでマラリアでの戦病死です。31歳でした。私は2歳で顔を覚えていません。上京して61年目になりますが今日までこうして靖国神社への参拝をかかさず来ています。今ではこの墓苑にも併せて参拝しています。昨日は安倍内閣が集団的自衛権行使の憲法解釈草案を閣議決定しました。心配なのはこうした行動がナショナリズムの高揚につながり、周囲の国との摩擦を助長する事です。どんな理由があっても戦争はまた起こしてはだめです。全国民がその事を肝に銘じて正しい判断をすることが、今必要です。

                 平成26年7月2日  東京  小池

 

数年前から何度か此方にお参りするようになりました。子供のころは日本の歴史をあまり深く考えたことはありませんでしたが、現在の仕事の関連で、日本の国がいかに特異な国であったかを知りました。戦争時の国の有り方が正しかったとは思いませんが、戦争に負けてから自分の国の歴史さえ正しく深く学べない教育もどうなのだろうかと想います。これまで国が歩んできた道程、国を支えていた人々の想いを知ることはとても大事なことだと思います。私は今日で42歳になりました。つい最近、祖父の弟さんがモンゴルで抑留されて、現地でなくなったことを初めて知りました.この年でこれを知ったのは恥ずかしい限りですが今後はこれまで以上に周囲に感謝して生きていこうと思います。又ここに来たいと思います。ずっと平和な世が続きますように・・・。

                  2014,0704、  美智子


 

私の親戚は潜水艦に乗っていました。私は今まで意識して目を向けることなく生きてきました。そんな私も20歳になり当時の方と近い年齢となり、改めて自分の生まれたルーツというものを学びたいと思いここを訪れました。先人に想いを馳せるということがたいせつなのかもしれないと感じた参拝でした。先人に恥じぬ生き方をしていかなくてはと心が引き締まる思いです。英霊に感謝。微力ながらでも目を向けていきたいと思いました。

                               学生

 

初めてここへお参りにきました。今日の平和な日本があるのもここに眠る皆様のおかげだということに気づきました。本当におかげさまで何不自由なく幸せに暮らさせて頂けること、心より感謝御礼申し上げます.もっともっとここの存在をテレビメディアで取り上げていただきたく思います。二度とこういうことが起こってはならぬように次の世代に継いで行ってもらいたいです。学校教育でももっともっとこういうことを教えて行ってほしいです.罪のない人々の命を奪う戦争を二度と起こさないように私たちは努力してゆかないといけないと。先人様方々の為にも二度と過ちを犯してはならないと思います。今現代の皆は本当に大切な心を忘れているような気がします。命の有難み、大切を感じ先人の方々があるからこそ、今日の自分たちが生かされていることを常に心して、進んでゆかなければならないと思います.先人に感謝、御礼申し上げます。ご冥福を心からお祈り申し上げます。自分の先祖、前世が戦争で命を落としているかと思うと、他人事ではなく自分事のように思えて心から手を合わせ供養、感謝、御礼申し上げれるのでは無いでしょうか。又必ず来ます。そして靖国神社にこれから参拝に行ってきます。

                         36歳  加辻

 

念願の墓苑参拝を致しました。涙が出ました。私の父はインパールで戦死と聞いていますが私は父の顔は知りません。父さん安らかに眠ってください。

                          四国  伊藤

 

安らかにお眠りください。そしてできることならば日本国の平和と暗然の為にお力を、今日靖国神社に参拝してまいりました。たくさんの参拝者で賑わっておりましたが子の千鳥ヶ淵戦没者墓苑には私以外誰も見当たりませんでした。とても寂しい思い出いっぱいです。

                          長野 70歳老人

 

昨日靖国神社、本日はここ千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝してきました。私は祖母の兄が船に乗っていて沈んだようだと言うこと以外に親族のなかでの戦死状況を知りません。そして私は歴史としての戦争の事実しか知らない世代で当時の人達の苦しみを身体ではしらない年代です。ですが祖母が今でも時々思い出して彼の事を話している光景を思い浮かべつつここに立った時彼らのおかげで今が有るし今私たちは彼らの死の上に成り立つ現在に胡坐をかくようなことは出来ないし、してはいけなと改めて強く感じた次第です。祖母もすでに90歳、孫の私も大学卒業して23歳になりました。私たちは今の日本をより良くして次に繋ぐために彼ら以上の頑張りが必要ではないかと思いました。どうぞ皆様安らかに。

                              京都 藤田

 

死ぬ前に一度はレイテに

優さん、東京に長年住んでいて、今日初めてここに参りました。

死ぬ前に一度はレイテに行かんといけんと思っとる。旧日本軍人の皆さん、アメリカには負けたが皆さんの死と引き替えに70年もの平和が日本では続いています。ありがとうございます。若くして死んでいった皆様、生きたかったと思う。皆様の死を無駄にせん生き方をしていこうと思う。 安らかに眠られよ。

                       9.20   藤川 

 

初めて参拝させてもらい感激

大分県から来ました。叔父がパプアニューギニアで戦死(197月)初めて拝ませてもらいました。靖国には絶対お参りはしたくなくて、ここに初めて参拝させてもらい感激しています。安らかにお眠り下さい。

                       10.8 のりやす

 

父はビルマで戦死、墓苑は心が安らぐ

久しぶりに来ました。地震のあった頃まで約2年間、なぜか この墓苑のすぐ近くで勤務することが出来ました。その為、昼休みはほとんど毎日この墓苑で過ごしました。ここは静かで心が安らぎます。父は朝鮮からビルマへ出兵後戦死、他に親族が5人戦死しています。全て讃岐出身者です。戦後70年 私達が快適に過ごせたのも、240万人強の方々の犠牲があればこそと特に最近そう思います。これから先、子供、孫達の人生が何となく不安で心配です。戦死した方々を忘れないでほしと思います。

                    10.10) S.M  横浜

 

遺骨収集自衛艦で帰国を希望 

硫黄島滑走路の下に多くの英霊が戦後69年の今日、コンクリートを流されて埋められたままの状態と、木島繁晴の本で知りました。遺骨収集、自衛艦で帰

国を希望、安倍首相のもとで予定を早め(決断して頂いているそうですが)一刻も早い遺骨収集、自衛艦で帰国を希望切です。

                   10.18  東大阪  七雄  

 

 

 

 

  行く秋や  日本晴れの   陽ざし浴び  
            御仏達の    千鳥ケ淵へ

                       10.19   玉木

 

千鳥ヶ淵にたくさんの人が参拝を

靖国神社の秋季大祭と併せて参拝しました。いつもの事ですがこちらに来られる方は少ないです。こちらにもたくさんの人が来てほしいです。いつものことながら、戦争の知らない私ですが、戦争で亡くなった方々、苦労された方々に比べて、自分はまだまだ甘いと思い、仕事、日々の生活に対して精進したいと思います。  ありがとうございました。

                   10.20   会社員

 

総理は靖国よりもここに来たれ!

なくてはならない千鳥ヶ淵、秋雨、今日も千鳥ケ淵はひっそりとしている。秋雨、今日も千鳥ケ淵はひっそりとしている。なくてはならないこの場所を何人が知っているのか。戦争はあってはならない。ここに眠る方たちの為・・・・・。語り継ぐことは難しい、忘れられてしまわない様に・・・・。平和がいかに得がたいものか想像できる様に・・・ここに来る。

                   11.1  山梨  FM

 

アンコの大福たべましたか

叔父様 今年も参加できました。10月29日は92才のバースデイでしたね。アンコの沢山入った大福が食べたいとおっしゃっていたそうで、十勝の小豆のアンの大福をお供えしましたが、食べて頂きましたでしょう。今日は買って帰ります。6人の兄弟姉妹も、7月17日姉の道子さんが95才で亡くなりました。姉の俊子さんが93才で元気です。たった1人になりました。又 来年も元気でしたら来ます。

                   11.3  東京  けい子

 

父、大四郎の遺骨がこちらに埋葬

父、大四郎の遺骨が、こちらに埋葬されているかもしれないとの事でお参りに来ました。私ももう70歳 私が1才の時に寒いシベリアに連れていかれて亡くなったと聞いています。先の戦争家族はバラバラになりましたが、母も今年1月に他界しました。しかし、私にも子供、孫が出来、また新しい家族が増えつつあります。いろいろありましたが、お父さんあの世から新しい家族をお守り下さい。私ももうすぐそちらに逝く歳になりましたが、もう少しの間、この世で頑張ってみたいと思います。

                     11.6   井上

 

墓苑は身が引き締まる思い

自転車での帰り道、幾度かお参りさせて頂いています。墓苑に一歩踏み入ると、今までの浮かれた思いが消え、身が引き締まる思いがします。神聖な場所と感じるのでしょう!今こうして生きていること、感謝の気持ちでいっぱいです。

亡くなられた多くの人達は、どのような思いでいたのでしょうか。辛く、苦しく、とても言葉では言いあらわせないものだったと思います。どうか安らかに眠って下さい。そして私達を見守って下
さい。私は
IT業界で働いています。情報化が益々進み、何をするのも有利になりました。その反面、ルール無視、マナーなし情緒もなく、考え方、行動も機械的な人達が多くなっているのが事実です。愚痴になりました。墓苑に来ると心が豊かになった気がします。

                     11.8    KO

 

 沖縄から初めて来ました

第二次世界大戦で、沖縄戦含めて亡くなられた方々に、平和と反戦を誓いました。平和憲法を多くの平和を望む人々と共に守り抜いていくことも誓いました。沖縄は今 歴史的な県知事選挙の真最中です。米軍基地を美しい名護の辺野古の海に絶対に作らせない、その為に先頭にたつ翁長雄志候補をきっと多くの沖縄県民が圧倒的に支持し当選する。そんなことを期待し祈りながら今東京での明日までの公務に就く、そんな思いです。この国立千鳥ヶ淵に、又 子供達、孫達、友人達と共に来て、平和の誓いの祈り、をしようと思います。

11.13  沖縄県 喜納 

 

 父のこと想いにふけり涙があふれ 

ここにお参りに来て、この歳になって父の事、改めて思いにふけりました。涙があふれ、この静かな場所に何万か解りませんが安らかにお眠り下さい。有難うございました。

                     11.22  SY

 

千鳥ヶ淵と靖国神社両方必要です

今日で2度目になります。千鳥ヶ淵と靖国神社 両方お参りしています。

両方とも、大切で必要だと思います。

                    11.24 沖縄   山里 

 

父の遺骨はこの千鳥ヶ淵にあり 

東京での学生生活4年間は毎年命日の9月16日にこの地に立ち、父と心の中で語らいました。それからは茨城のふるさとに帰り不定期的にこの地で逢っています。パラオ共和国ペリリュー島で戦死し、ふるさとには砂だけの帰還でした。遺骨はこの千鳥ヶ淵にあると信じています。今年は私の70才の節目の年を迎え妻と参りました。ペリリュー島のみたまよ安らかに眠れ、ふるさと平和の祈り母は90才、来年の天皇皇后両陛下のパラオ渡島を心待ちに元気です。

                         茨城 人見

 

私は現在家族と共にオーストラリアに在住しております。早いもので来年の二月で一〇年となりますが、海外で生活して初めて私は日本の良さがわかるようになりました。オーストラリアでは、毎年五月に第一次及び第二次世界大戦に関わった方々に対しての尊敬の念を表す国家的行事「アンザック・デー」が祝されます。私は豪州国出身の妻とのあいだに授かった一人娘がおりますが、家族で参加をして敬意を表します。もはや今となっては戦勝国や敗戦国は関係なく、全ての戦争に関わった方々へのこれからも生き続ける我々の深い平和への決意を固めなければならないと感じます。私個人もより深く日本のことを理解し若い世代へフェアに伝えていきたいと思っています。日本人としての自覚を持ちながら世界的な平和への道を探る大志を持って。

H25,12,12 オーストラリア・ブリスベーン在住 緒方

 

今でも先の大戦が映画やテレビドラマの題材になります。劇中の兵士たちは神々しく画面に登場し散っていきます。国のためだ臣民の勤めだと言われてもそうだと意識したとしてもやはり、一人の人間としてやりたかったこと、語り会いたかった日と思い描いていた人生が合ったはずです。勝った負けたではなく、もうこういうことはあってはならならない。未だ知られることもなく異国の土にいらっしゃる先達があるのだということを忘れてはならないです。

                  H25,12,25  岩手県 東浦勇夫

 

晴れたいい天気の今日、ちょうど休日なので参拝にきました。これから靖国神社へも行きます。母によると遠い親戚に出征して亡くなられた方、民間人ですが満州の方へわたって帰って来れず、行方がわからなった方などが何人かいらっしゃるそうです。私が生まれる数十年前戦争が原因で亡くなった方々、戦死した方々または空襲で亡くなった方々のことを考えると今生きている私たちの身代わりになってくれたのだと思います。ご冥福をお祈りします。都内に住んでいますので日常仕事やいろいろなことで悩んだり、考え込んだりするときはこちらや靖国へ言って自問自答し、皆様の労苦に比べたら,たいしたことないやと割り切って頑張るようにしています。

                   H25,12,25   若輩者の会社員

 

亡くなられたお父さんを想うお子さん方の文章には,幼子を持つ父としても胸を打たれました。戦争は2度としてはいけないという思いを大事にして行きたいです。

                      H25,12,27   K,M