平成19年 参拝して想う(休憩所のノートより) 

                                              

 安らかに眠って下さい
一年ぶりの参拝、あなたお元気ですか。
九十の坂を二つ越えようとしています。心の中で逢えて嬉しいです。 来年も逢えます様祈っています。
あなたも待っていて下さいね。
   森も桜も例年の様に美しいです。この静かな美しい自然の中で安らかに眠って下さい。
来年も楽しみに待っていて下さいね。       常さんへ           
                              19,9    長野市 G 

 

 亡き母も喜んでくれる                    

母方の叔父3人戦死。一人はシベリアでと聞きました。今日 初めて参拝しました。

これからは、出来る限り亡き母の代理としてお参りさせて頂きます。母も喜んでくれると思います。

                              江戸川区 O・K    


 

 心が晴れました
私の願いは終わった。本日参拝が叶い、63年間の重い心の戦いに幕が降りた気が致します。
死んで行った父もつらかったでしょうが、親の顔もしらぬ子も又辛いもの、本日やっと心が晴れました。
墓苑の方の心優しいご案内で、いつしか現代の心に戻っていました。
これからは千鳥ヶ淵戦没者墓苑と共に生きて行く所存です。
  又逢いに来ます。          父へ             S


 

 ありがとうございます
亡くなられた方は、もっと生きたかったでしょう。その方々のおかげで今、私は、生きています。
精一杯生きて頑張ります。ありがとうございます。

                                 19.7.25 Y(37歳)

 

 戦没者のご冥福をお祈りします。
昭和20815日、小学3年生でした。秋田の親類に一人で疎開、終戦を教えられました。今日70歳でここにお参りし、私たちのために征かれた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
平和が続くのを切望しつつ              

      T

 

 

 本当にありがとう
今、こんなに平和で暮らせるのは、戦死したたくさんの犠牲の方々のお陰です。本当にありがとう。
命をかけて守って下さった方達が残したこの国をこれからも平和に残すことが、これから先私達のつとめです。      

                                     49歳   主婦

 

 毎年墓参しています。
毎年89日、墓参しています。
それは、兄さんの誕生日であり、ニューギニアで戦死された日でもあります。今までは、姉と一緒に参りましたが、昨年姉は死亡しました。姉兄で私一人残っています。私も体を大切にしていつまでも兄さんの墓参りに参ります。昨年は、台風で大変な日でしたが、今年の暑いこと、又来年参ります。                                         
                               
                                   K.S

 

 一度は来たいと思っておりました。
美しい墓苑に深く心に悲しみが返りました。 二度と戦争はいやです。国のためといっても・・・。
国は、民のものとなりました。日本だけでなく、世界中から戦争が消えていきますように。

 


 

 叔父の遺骨が帰って来ました。
パプアニューギニアで尊い命を落とした叔父の遺骨がやっと帰って来ました。亡き母の遺影と共にお参りさせて頂きました。
25歳という若さで亡くなった叔父をはじめ、たくさんの尊い命のお陰で、今の幸せがあります。有難う。二度と戦争の無い日本が続きますように。

                               9月13日 (木)

 

 毎月参拝させていただきます。
生きている意味が分からなくなった時、生きているのではなく、生かされている事に私は気づかせて頂きました。
日本という国の為、愛する家族、友人の為自分の命を捧げ犠牲になって下さった本当に多くの英霊の方々のお陰で私達日本人は、今、日本の国に住まわせていただいている事を忘れてしまっているように思えてなりません。
 物から心の時代に、昔の日本人が持っていた人を思いやる心、物を大切にする心、自然を愛する心をここ戦没者墓苑にお参りさせて頂くことによって改めて痛感させて頂いております。これからも毎月1回お礼を申し上げに参りたいと心から思っております。「英霊の方々」本当に有難うございます。 

                            19.10.3 西東京市  N・J                           



  
 本日は主人と一緒にお参りに伺わせて頂きました。

一人でも多くの方々に戦没者墓苑にお参りして頂きたいと念じております。英霊の方々には感謝しても感謝しきれません
今日もお参りが出来本当に心はとても豊かになりました。

                                    19.10.8 N.J    
                                          


本日は、家内とお参りさせて頂きました。英霊の方々のご冥福をお祈りいたします。 

                        西東京市 19.10.8  N.N


 

                                       
初めて来ました。心が洗われる思いです。
                       
                             19.10.17  
I・J   


                                  

 父へ 
息子Fより  四人の幼い子と妻、老いた両親を残して、戦地へ行った父の思いを考えるといかばかりかと思います。
貴方の妻は、八年前の十月に征きました。
87歳まで生きてくれました。35歳で戦死した父と会えるかと心配しました。ビルマのフーコン地区、ミートキーナ、雲南方面の本を読みました。その惨状が分かりました。貴方の子4人は、皆無事でいます。私も今年で67歳になります。平和のお陰です。                            
                           19・9・26


 

 悲しみは少しも弱くなりません
フィリピン・ルソン島で父が行方不明になったのは、私が十二歳の時でした。62年経った今も悲しみは少しも弱くなりません。
信じられないでしょうが事実です。            

                        19.9.23 K.M

 

 私は、ひいおじいさんに会ってみたかった
私は、おばあさんの父に会ってみたかった。生きていたら百三歳だったそうです。
フィリピンで亡くなったと聞いて、おじいちゃんに会ってみたかったです。四十一歳亡くなったのでもう少し長生きしてほしかったけどなぜ戦争に行かなくてはならなかったかが知りたいです。  

                         19.11.23 K・M



 

父ちゃん今年もまた十二月になったよ

母ちゃんが死んで七回忌を今年したよ。父ちゃんからもらった最後の手紙に「裏の柿の木の実赤く熟れて
とてもおいしかったよ」の文章が忘れられず、小さい時から今七十になっても思い出し涙します。
私達祖父母、母、子供四名の七名を残し、戦地硫黄島で祖国日本を思い、私達の事を想いながら玉砕された(昭和20年3月17日)
 父ちゃんを想うとき、これからの日本を背負い生きてゆく若い人たちに忘れないで欲しい「戦争は絶対にして欲しくない、悲しむ人も作ってはならない」と思う。もう私達だけでたくさんだと。               

                  19.12.1  I・K


 

 

墓前に白と黄色の菊の花を五人分お供えしました。ばぁちゃんと今年も千鳥ヶ淵にお参りしました。硫黄島の遺骨収集の写真も見せてもらいました。
また、お正月にお参りに来ます。こんないい日本にしてくれてありがとう。

19.12.1