平成22年 参拝して想う(休憩所のノートより) 

 

 

ビルマで戦死した父 江島吉助二七歳 お父さん初めてお会いできました。私は、もうお父さんの三倍近く生きています。また会いに来ます。今日も主人と二人です。

                       22.1.30 M

 

皆様の言葉を読んでいると、それぞれに愛する人への想いを感じます。

この平和な世の中を守り、子供達を慈しみ、日々を大切に生きていきたいという気持ちを深くして還りたいと思います。         22.22.13

 

 I hope willing peacefull country Japan。  

                     22.03.23  L.J Sri-lanka

 

静雄兄さん、門司港にも逢いに行ったのに、逢えませんでしたね。岩太じいちゃん、チサばぁちゃんも長生きしましたよ。澄子も、娘のいる東京に来ています。あの時は、ごめんなさい。   大田原利正、大田原信治、大田原實兄さん達、久しぶりです。正一は元気です。安らかに眠って下さい。                         

   S

 

また来ました。有難うと言っているのが聞こえる様な気がします。    

    A

 

義兄さんお母さんは、待ちくたびれていました。弟敏郎の妻です。毎年お参りに来ています。                     

22.4.6

 

義父が、先の大戦で戦死し戦没者家族として初めて参拝しました。とても厳粛な気持ちになり、合掌し、家族の無事をお祈りしました。義父も妻と子供を残し先立つ、息絶える時の気持ちを考えるととても切なくなりました。   

長崎県  SY

 

親父がフィリピンで戦死。7年前に戦没者家族として慰霊参拝した。「これからやっと私の戦後が終わった」と謝辞を述べたこと、初めてここを訪れて思い出した。

                          横浜市  NJ

 

お父ちゃん、遅くなりました。ようやくお参りに来ました。お父ちゃんの声を、世後3ヶ月で聞いてはいるのでしょうが残念です。お母ちゃんは、今年98歳になります。お姉ちゃんと一緒に、一生懸命お世話しています。         

 M・Y

 

やっと訪ねる事が出来ました。「若い命を国の為で無く僕の愛する人の為に死にに行きます。」との遺書を見て涙をこぼしました。平和を有り難いと感謝しています。

 MY

 

他に4人も親族724日が父と叔父の戦死した日です。が、ビルマ、フィリピン、タイ等で亡くなっています。今年の夏は、特別に暑い日が続きますが、いつもビルマのジャングルで死んだ父も暑かっただろうと思うと「何のこれしきの暑さ」と暑いと思いません。今は、お墓の涼しい所にいるのでほっとしています。             

 M

 

戦没者の皆様に心安らかに眠れと。合掌      

三重県 O.K

 

叔父達もきっとここに帰って来ていると思って、桜の頃に毎年参拝しています。戦争のない平和な世界が、出来ることを願っています。   

22.4.4 T

 

兄よ 安らかに眠って下さい。人は、かならず死を迎えるが、戦争では悲しい。人は、争って良い。しかし、人を殺してはいけない。    

千葉県 W.K

 

浦川梢おじさまへ 本日母と娘と共に訪れ」ました。明日4月26日ガご命日です。未来永劫、平和な世界が続きますよう叔父様のことを思いつつ。 合掌 

4.25 N・N

 

私を含め、今の若者がもっと戦争や歴史について知る必要があると思う。そして今ある幸せに感謝しなくては、何万という方々の死に申し訳無いと思う。      

 

長兄は、フィリピンで、次兄はニューギニアで戦死しました。私は、兄達の4倍近く生きて来ました。子供の頃兄達と遊んだ頃のことを思い出します。  

東京都 7.1 Y・S

 

今の日本の平和は、貴方の犠牲の上に成り立っていると思います。祖国を守ってくれて本当に有難うございます。                       

F・N

 

ここに眠る家族の元に帰れないお骨を見ると申し訳ない気持ちです1年に1回参拝し、良き日本にするよう頑張ります。安らかにお眠り下さい。  

22.7.12 Y・S

 

初めて訪れてみて、質素で清潔な墓苑で思ったよりも規模が小さくて、静かで、大変良い環境でした。今生陛下の詠まれたお歌にとても感動しました。平和って有り難いものなんですね。                       

22,7.17  K

 

今、日本は、「グローバリズム」という名の元に、かってない危機に立たされています。遠く貴方たちが命をかけて守ろうとして下さったこの大和の国を、後世の私達が覚悟を決めて守らなければならない。日本人の魂にスイッチオン。

 

 

最近自殺者が多いと聞きます。生きたくても、生きられなかった人が日本の先輩諸氏にいらっしゃったことを、もっと多くの人が知って欲しいと思います。亡くなられたそのような人たちに感謝。                    

8.7 H

 

今まで、時々参拝してましたが、終戦日にお参りに来たのは、初めてです。今日は、終戦日と同じとても暑い日です。父を7歳で戦地へ送って65年、早いものです。みんな頑張ってますから、安らかに眠って下さい。また来ます。      

8.15 S

 

初めて来ました。シベリア抑留、南方戦線で亡くなられた方々の苦難を思い起こす事が出来ました。しかし、ここへ来て初めて海外戦没者の施設であることを知りました。首相はここへ参った事で靖国神社の替わりとし、そのような報道がありました。しかし、ここへ参ることは良いことであっても靖国神社参拝に替わるものではありません。                                                          名古屋市           

 

昨年11月に遺族会でフィリピンに慰霊に行きました。戦後65年も経つのに初めて千鳥ヶ淵にお参りいたしました。日本人として何とも情けなくお詫びいたします。ただただ、安らかに休んで下さる様にお祈り致します。母も96歳になり、家族を支え元気です。平和な日本でありますように。             

9.3 千葉市  S

 

戦争も終わりに近い頃に生まれ、小学校の頃は貧しい時代、素足で学校に通っていた男の子もいました。縁あってフランス人と結婚し、フランスで暮らしています。どんな小さな町にも戦没者を記念する建造物があります。理由はどうであれ、国の為に戦って亡くなった人たちを忌う公の場所が無いのが残念です。    

10.4

 

数知れぬ命の積み重ねのお陰で今の自分があること、与えられた命を大切に生き抜くことを改めて心に誓いたいと思います。戦没者の方々の安らかな眠りをお祈りすると共に、平和へのお導きを心からお願いしたいと思います。

 

 

父 保坂秀男は終戦の2ヶ月前に戦死しました。今、「自分さえ良ければよい。」という、ひどい世の中です。こんな日本のために父や何百万の方々が、亡くなったのではありません。                       

 H・K

 

今日、偶然ここを通りかかり、初めてここの存在を知りました。私の祖父は、サイパンで戦死したと聞いています。通りすぎる道だったのが、吸い込まれるように足が止まりました。何かの縁だと思いお参りさせて頂きました。感謝します。   11.7  

     

     古里の  土に帰れぬ   兵幾そ

             千鳥ヶ淵墓苑に  野鳩啼く

                                晴得

 

24日は、朝鮮からビルマへ出兵し、戦死した父の月命日です。朝鮮から母と姉妹の4人で讃岐へ引き揚げて来て、戦争未亡人の親子として本当に辛い毎日でした。私も69歳になりました。今の日本の状態は何ですか。戦争で死んだ方々が嘆いています。                             
                                         横浜市 S・M

 

私は、母のお腹にいるとき、父が出征し、3才の時ニューギニアで戦死しました。母の苦労のもと結婚し今は、70才になりました。ここに祭られている皆様のお陰で今の日本の平和があります。尊い御霊に感謝しています。    

大阪 堺 11.30

 

義兄さん、お母さんは、待ちきれず逝ってしまいました。義母に代わり嫁の私が毎年お参りに来ています。私も88歳を越えてしまいました。戦争で青春も無かったですが、今度は平和な時代に生まれて来て下さいね。            

12.1

 

主人の父がフィリピンで戦死しています。お父さん安らかにお眠り下さい。私達夫婦・子孫をお守り下さい。4人を立派に育てた五十嵐フミお母さんと今は、天国で二人でいることでしょう。                        

12.17 M

 

つい最近まで戦没者のことを考えたことがありませんでした。きっかけは、尖閣諸島問題です。色々と調べる内に、戦前、戦後、現在の状況が次第に解りつつあります。戦時中、家族のことを想い、国のこと想い戦死していったと思います。私達のために戦ってくれた人々に感謝し、この平和な日本をこの先も守ってゆかねばなりません。 

12.31 W

 

お父様、私は、何も覚えていません。満州から引き揚げ(私2歳、兄4歳、5歳)母は、三人の子供を育てるのに大変でした。母の兄弟は、7人のうち、4人が戦死しています。戦争を二度と起こさないために、戦争の悲惨さをもっとテレビ等で報道して下さい。