平成23年 参拝して想う(休憩所のノートより)



 

 家族5人で来ました。祖父は軍属でボルネオに行き来していたと聞いています。開戦して間もなく海上にて亡くなりました。終戦後まで戦死が知らされませんでした。洋画描いていて帝展で入選したこともあったそうです。入選前の数点の絵が残っています。4年間、夫の死を知らされなかった祖母は悲嘆にくれ曾祖父の「嘆くのを止めなさい、悲しむ貴女を誰も望んでいないから」まだ30代前半で2人の子供(母と叔父)のいる寡婦となった祖母の心情は想像も出来ません。

 この場所は私が生まれた年に出来ました。それなのに、今年初めて参りました。でも夫と子供同伴です。祖父母の人生に誇りを持っています。

8/16   Y.S

 

戦後66年、ただただ平和を祈る。3/11の大震災による災害の一日も早い復興を

祈る。何時までお参り出来るか分からないが年に一度は必ず来ることとしている。祖父母、父母の安らかな眠りと66年前の大戦で未だに日本に帰られぬ方々の御霊に謹んで、安かれと祈ります。

8/16    M

 

   私は二ヶ月に一度の墓参りをしております。

本当に心が落ち着きます。生きている限り・・と言うより体が動く限り続けて参ろうと思っています。今日も暑い日射しの中、汗を拭き拭き九段坂をのぼるのもいいものです。

8/17    クラスノヤルスク遺族会 Y.T

 

   あなた方の最後に見たものは何だったのでしょうか、それを想うと心が痛みます。心から御冥福をおいのり申しあげます。

8/17       M.S

 

   ただ先祖、祖父母の守った国・日本を大切にしていきたい。戦没者の安らかな眠りを心から祈る。これからもずっと語り継ぎ、祖父母の大切な想いを、次の子供に繋げたいです。日本のためにありがとう。子供達は皆元気です。笑顔で見守ってください。

9/23     28才(男性

 

 第五十九中隊百四十名の皆様(私の父を含む)ニュウギニアのウエワクで元気だったのに、その後船に乗ってどこへ行かれたのですか、もう六十七年南十字星輝く空の下の海に沈んでいるのですね。私は何とかして場所を知りたいと思い、努力してきましたが残念ながら未だに行方不明。戦死認定のままで子供としてどうして良いか分からず、日本国は陸地だけでなく、何とか海中も探していただきたい、お願い致します。日本までお帰り下さい、待っております。私も年をとりました。早くお帰り下さい。

                              大阪    R.K

 

 弱冠二十才で亡くなられた叔父様、会いに来ました。寒いシベリアでどんなに故郷に帰りたかったことでしょう。田舎には叔父様の立派なお墓があるけれど、やっぱりここに来てしまいます。どうか安らかにお眠り下さい。私も叔父様に恥ずかしくないような生き方をしてまいります。        

無記名

 

 昭和二十年二月フィリピンルソン島にて戦死した叔父さん、安らかにお眠り下さい。もっと早く来たかったのに遅くなってご免なさい。

                     23・11・14   G.K

 

父の命日17日は、私達姉弟2ヶ月に一度、この千鳥ヶ淵に墓参という形で会う唯一の楽しみの時間であります。皆、年を重ねあと何回こうした形で会うことができるのでしょうか。体の動く限り続けていこうと思っています。九段坂を登り切り左折すると桜並木が続きます、清々しい気持ちで歩きます。生まれ、ここまで生きていることを感謝しながら、、、、、。

23.12.17     クラスノヤルスク遺族会会員

                              M.N、 K.S、 Y.T