平成24年  参拝して想う(休憩所のノートより)



 

 

十人兄弟姉妹の中で兄・姉の二人が戦争のため犠牲になりました。小生八十五才の年齢になりました。墓苑には次男の介助でやっとまいりました。安らかにお眠り下さい。       

二月九日  日立市  E.K

 

  硫黄島で戦死したお父さん。私は父の顔を知りません。昭和十八年一月二日、私が誕生して間もなく戦地に行かれました。兵団司令部付きと父の手紙に書いてありましたが、戦後(昭和二十八年頃)、遺骨収集の人が持ち帰って頂いた飯盒のふたに死を覚悟した名が彫ってありました。父のかたみはそれだけです。今も大切にしています。お父さん、御遺骨はもうここに戻りましたか?お父さん私は今年六十九才になりました。でも今でも悲しいです。硫黄島での戦争を思うと今でも、我慢出来ない程涙が出ます。でも、もう大丈夫です、どうか安心して安らかにおねむりください。  

二月十七日   K

 

「きれいな桜でした」 父は兄弟7人で、戦争で兄達は亡くなり、弟と2人残ったそうです。長兄、次兄には家庭があり、生まれていた、私のいとこ達はお父さんの記憶がないそうで、いつも床の間に飾っている父にそっくりなおじさん達の軍服姿を見ながら育ちました。私は大分出身でまさか東京の靖国神社の近くに住んで、桜を見に来るとは思っていませんでした。私のおじ達に有難うと伝えたい気持ちでいっぱいです。

                 平成24年4月8日(日)晴れ、

 

今の我々があるのは大東亜戦争を戦い抜いた先人達のおかげです。そのことを忘れず次世代につなげて行けるよう一日一日頑張って生きていきたいと思います。

24.4.12   27才  男性

 

   日本のために戦ってくれて有難うございます。私も日本の為に何ができるのかを考え、日本国民の為に行動します。貴方達の「一生懸命」を決して無駄にしません。

24.4.12   21才  男性

 

 シベリアで亡くなった祖父を恋い慕っていた母も今月3回忌を迎えました。今頃はあの世で夢にまで見た父親との再会を果たし、「お父ちゃん」と存分に甘え、尽きぬおしゃべりを楽しんでいることでしょう。いつの日か私自身も祖父が最後に過ごした地、そして母も遺族会の方々と訪れたクラスノヤルスクの地に足を運び、祖父が見た景色、母の悲しみを感じ取りたいと思っています。2度と戦争をおこしてはなりません。

24.4.30  S子

 

 初めて来ました。

私は今年20才になります。戦争を体験したことは一度もありません。だから、お年寄りの方から聞いた限りの戦争のことしか私は知りませんし、イメ―ジもあまりわきません。今私が生きている日常はとても平和です。そして毎日当たり前のように穏やかに過ぎていきます。きっとかって戦争が行われていた時代にはこのような平和な毎日は考えられなかったことだろうと思います。 今日ここに来て、改めて自分達の幸せがいかに尊いものなのか思い知らされました。この今の日本を作りあげてくだっさったここに眠る方々に感謝の気持ちでいっぱいです。 この気持ちを忘れずに、ここに眠る方々も忘れずにこれからを過ごして行こうと思います。今の生活をあたりまえだと思わずに大切に生きて行きたいです。

2.5.5   N.M

 

  叔父二人が南方で戦死したと聞いておりました。当時四歳の私には二人の姿の記憶はありません。戦争に行く時に爪と髪の毛を残して行ったそうで石ころとそれだけが戻ってきました。へびやとかげを食べて、命をつなげていたとも聞きました。今の世の中、社会生活これでよいのかと思うことが余りにも多くあります。先人達のたどった苦難の道を思うと、このぜいたくさ、おったいないを忘れた生活、あまりにも満たされて、夢も希望も特に持たなくても生きて行けると考えている子供達の余りにも多いこと、今、私達にできることは、一日一日一生懸命に生きることだと思いました。今日、参拝させていただき、叔父への感謝と共に心を新たにいたしました。

2012.6.4   横浜市  S. O(72才)

 

 先月末に南三陸町へ行ってきました。

海は静かに広がっておりましたが、町はガレキの山、まだまだ片づいておりません。私は戦争で父を亡くしましたが、この悲しさは何年経っても昨日の事です。当事者のみがしるつらさを少しは分かったでしょうか

2012.6.17

 

先駆けて散りし友よ、我来る

      シベリャ生還、墓苑額ずく

2012.6.24   札幌市 M.S

 

 私は、自衛官として働いております。

愛すべき家族、故郷、兄弟、両親皆を守りたい一心です。そのことが国民を守り、国を守ることだと考えます。  最も平和を祈っているのも、いざ戦争が起き身を挺するのも我々ですが、変わらないのは愛すべき人々のために自分を捧げたいという気持ちなのです。

 昭和天皇の御製 ”むねせまりくる”の一節に涙がこみ上げました。自らを捧ぐ気持ちがわかっていただけたと感じたからです。先の大戦で亡くなられた御英霊の御魂よ安らかにお眠りください。

                        2012・6・24

 

 パラオ共和国ペリリュ-島で昭和十九年九月十六日父は戦死、私の誕生より六ヶ月後写真でのみ知る。 あの美しい島で命を落としたのがせめてもの慰めです。ペリリュ-島へは数回慰霊渡島をしました。機上にて(帰り)

  晴ればれと   英霊の島   さようなら

                   光り輝き    海なお青し

 砂のみのふる里への帰郷、父はここ千鳥ヶ淵で眠ると確信、不定期的に墓参しています。

 H24.7.6       神栖市  K.H、T.H

 

 兄が千島で戦死しています21才。一番親孝行の兄でした。私達今日生きていることは、国のために尽くした方々のお陰です。本当に有難う。御冥福をお祈り申し上げます。                                     

K.

 

 私は戦争を知らない世代ですが、今日の幸せと平和があるのは多くの方々の命と引き換えであった事を忘れてはいけないと思い、参拝させて頂きました。安らかにお眠り下さい。

            八千代市  R.S

 

 戦没者にただただ感謝です。あなた方がおられなかったら今の我々はありません。東日本大震災が発生し、我が国は危機を迎えましたが、そんな時こそ先人を見習い一致団結して困難に立ち向かうべきと思いました。先人に感謝し、この国を切り開いていきたいです。

            

 

 私は昭和18年1月10日に現役兵として、満州に二年八ヶ月 歩兵として努めました。昭和20年8月にソ連抑留になり二カ年程で日本に帰りましたが、大勢の戦友が亡くなりました。今現在私がお参りできるのは戦友さん達のお陰です。これからも元気な内はお参りを続けます。軍隊生活、シベリア抑留は大変でしたが、その後の生活においてプラスの面もあったと思うこともシバシバあります。戦友さん安らかにお休み下さい、近いうちにまたお参りさせていただきます。

東京    S.M

 

 北支で終戦を迎えた父は、戦後生活が一変した、よりよき日本人として生きたことを誇りに思い、昭和の最後の年に逝った、英霊の御魂に祈りを捧げつつ。

品川  M.Y

 

 今年は千鳥ヶ淵に来ることが出来ました。戦争を知らない私は、昭和六十年に生まれ、二十七才。戦争を体験した祖父は二人とも亡くなりました。

 教科書や本でしか戦争を知らない私にとって、祖父や祖母の声だけが戦争の声でした。

 ここに来るのはこのノ-ト(休憩所のノ-ト)を見るためで、少しでも心に戦争というものを刻むためです。人と人の繋がりを求めるのに、つながる事が出来なくなった私達はどうするべきかと考えるためです。 戦争のない日本を作ってゆきます。

24.9.16  K.K

 

  本日、二度目のお参りをさせて頂き、誠に有り難うございました。

  千鳥ヶ淵にて、お疲れになった魂と体を休めておられます沢山の英霊に心から哀悼と敬意を表します。

 世界各地の戦地で御国の為に戦い、又、身を粉にして働き、日本の未来と平和を願い続けて下さった英霊がいて下さったからこそ、今日の日本があるのだと私は思います。

いつか、祖国に帰る日を夢に見たまま、戦地に斃れられたその無念さは、現代に生きる私には、とても計り知ることは出来ません。只々、千鳥ヶ淵墓苑という静かな地でいつまでも安らかにお眠り下さいと心からお祈りさせて頂くだけでございます。

「今の日本の平和な社会の礎を築いてい頂き本当に有難うございました。」

24.10.14    東京都  H. Y 

 

  敗戦から六十年以上経っても、兄のことは忘れられません。ここに詣り、新しい涙が湧いてきます。優しかった兄、言葉少なでいつもニコニコしていた兄、和歌山の連隊にたった一回面会に行ったのが最後で、ソヴィエトに連行されたと聞き、やっと帰国できると姉と喜びました。それが思いもかけず長引いた抑留生活で心身共に疲れたのでしょう。戦病死の通知と「石ころ」で兄の一生は終わりました。

 どうぞ、こんな悲しみはもうたくさんです。日本国を大事にして下さい。

                   24.10.16      滋賀県  H. O

 

  久し振りに来ました。

私の父及び親族が計六人、ビルマ、フィリピン、タイ等で戦死しています。皆さんがこの墓苑に埋葬されているものと信じています。平成二十一年五月から平成二十三年四月まで九段南で勤務することが出来て、その二年間ウイ-クデイは、ほとんど毎日朝は靖國へ、昼はこの墓苑で菊の花をささげて、この静かで落ち着く場所で昼休みを過ごしていました。がしかし、今は横浜から来るチャンスも少なく誠に残念です。なつかしのこの墓苑に、もっともっと来たいものです。この墓苑は静かで平和です。何度も言いたいことですが、現代の人々は、この墓苑に眠っている方々のことを忘れてはならないのではないかと想います。

                    24.11.16   横浜市  S. M

 

  前回(平成十六年)に続き二回目の参拝です。今日は妻と共に参拝しました 。靖國神社へは遺族会等で何度も参拝に来ていますが、団体行動では、ここまで足をのばすのはなかなか出来ませんでした。本日は夫婦でお参りが出来て良かったです。

 昭和二十年十二月にシベリアで戦病死した父がここに眠っていると信じています。                

  もっと多くの日本人にお参りして欲しいです。静かな墓苑で平和をかみしめています。ありがとうございました。

                  12.1        滋賀県彦根市   T. H