平成29年参拝して想う(参拝者ノートより)

 

 神 自然 人間の大調和 世界の平和を唯祈る

  善一元の世界へ ひたすら ひたすら

 2017.1.2  13:40         Hisako

 

 初めて参拝させて頂きました。

こちらで眠られている多くの方に、笑われぬ様な日本人として歩める様、心新たに日々日本人として、歩んでいきたいと思います。

 2017.1.16                秋井  

 

 昨年10月18日以来 今日来ました。

父はソウルから出兵し、ビルマで戦死とのこと。

日々の生活におわれて、父の顔も何も知らない為、70才位まで父のことのど忘れ切っていましたが、今日私がこのように生活出来ているのは、父のおかげとやっとわかりました。遅すぎますね。

父がここに居るものと信じています。出来る限りここへ来ます。

 1月20日 (金)          横浜   SM

 

初めて戦没者墓苑へ来ました。

今、こうして、展示等も拝見させて頂いて、あの戦争が、その中であった沢山の事が、如何に重く、大きく、きっとそのひとつひとつも、一人ひとりの大きく重いものが、皆様にあったに違いないし、それらの方々の辛く苦しく、重く、困難な中での生き様があるだろうと思うと、ひとつひとつの重さ、それらの背景としての時代や社会情勢、などなど、全く表現のしようもありませんが、それらにとても打ちのめされてしまいました。

そして、こうして墓苑があるということは、きっとそれを決して忘れまい、その重さ、

大きさを留めむと、先人も今の方々も努力してきたからなのでしょう。

この言い様のない気持ちが、整理出来るかわかりませんが、抱いて生きようと思います。

 平成29年3月8日                  服部 

 

過去の過ちから学んだことを未来へ生かすということが、歴史を知る事の重要性の一つであると私は思いますが、その時、亡くなられた先人たちを悼むことができる環境があるということは、非常に大切なことであり、今日、私がここを訪ねる事が出来たという事は、私にとってとてもありがたいことであると感じております。

      世界が平和でありますように

 平成29年3月13日(月)     吉永

 

硫黄島で父 35歳で戦死 S18年3月17日命日です。

昨年 硫黄島に参拝参加して来ました。(孫と一緒です)大変な所でした。

地べたにほほずりして来ました。皆さん大変だったねと、涙・涙でした。

お水も沢山あげてくる、お酒もね、お花もね。あっと言う間の時間でした。また行って仏前に手を合わせて来たいです。

ご奉仕される方々 いつもきれいにありがとう・・・・

怪しい時代になってくるような気がします。このまま ずっと平和でありますように

祈るばかりです。

 3月18日 快晴          浦和より  娘 79歳

 

 

 亡くなられた方達の無念さを思うと・・・涙がこぼれます。

国のために本当に御苦労様でした。お疲れ様でした。

あなた方の事は、決して忘れません。

 平成29年3月22日               山口

 

 本日 私は 八丈島から上京し、お参りをさせて頂きました。

八丈島も戦争と深く関わってきた島です。

戦争でお亡くなりになられた方々のお気持ちは、はかりしれません。

これからも、日本は平和であってほしいと願います。

毎年ここを訪れると、心がなぜか落ち着くのです。又 必ずお参りに来ます。

 平成29年3月22日               美智夫、眞人

 

  御霊にも  耳があるなら   ふるさとの

       さくら便りを   伝えあげたや

 2017年3月25日              四郎

 

 戦後70年 旧ソ連慰霊巡拝に、平27年8月30日~9月6日まで訪問

ハバロフスク地方 ユダヤ自治州の現地で大切な命を国に捧げて眠る墓地 英霊に合掌できました。遺児として、いくらか気持ちがやわらげました。

今日 こちらの千鳥ヶ淵墓苑に納骨されており、拝礼できました。

本当に有難うございました。

 H29年3月27日

 

お国の為に命をささげ、戦って下さった事 忘れる事なく感謝、感謝の思いです。

日本国防が心配な昨今に、平和を維持する事と、国を守る事に心配であります。

どうぞお守り下さい。

 H29年3月30日              土四男

 

 初めてこちらに参拝させて頂きました。

お国の為に命を惜しまず逝かれた方々に敬意を表し、安らかにお眠りになられることを祈ります。

H29年3月31日             セントルイス在住  

 

   

 初めてこちらに参拝させて頂きました。

私の祖父の弟は戦死、また 長崎に原爆が投下されて 天気が悪く、たまたま私が生まれています。どうぞ、日本・世界が戦争のない国となりますよう祈念させて下さい。

 平成2942

 

 先日は広島旅行で原爆ドームや、平和祈念資料館を見たり、今朝は「この世界の片隅に」という映画を観てこちらを訪れました。当たり前のように毎日平和で過ごせている今が

いつまでも続きますように。私の毎日はもっと生きていたかった人達がすごしたかった

大切な時間なんだと思い、もっと毎日を大切に過ごしたいと思いました。

二度と戦争がおきない事を心より祈ります。

 H29.4.2

 

 千鳥ヶ淵の桜と、パラオ国ペリリュー島の南洋桜とを重ね合わせお参り出来ました。

遺児として、天皇皇后両陛下様のペリリュー島の慰霊を心より感謝いたします。

 H29.4.3           勝久、豊志江

 

 母も何十回となく参拝、私も今年で2回目の参拝です。

見た事、面影、小さかったので記憶にありませんが、最近、ここに来ると写真の父と逢えるようです。

 平成29年4月4日            千代子

 

  夫と2人でお参りをしました。

海で亡くなり、遺骨もなく、海に深く沈んでいるのでしょうか、又 海水とともに流れ

どこをどう漂って、小さな白い貝殻のような石になっているのでしょうか

私(娘は)その小さな砂になっていってしまっているかも知れない砂を拾い、大事に胸に抱きしめ、夫、娘、息子への手に握らせてあげたい。今年の夏、くちえらぶ島の海で

魚雷によって、亡くなってしまったお父さんに会いに行きます。私が3才の時別れ、私はもう76才になります。何度 お父さんの面影を追い続けたでしょう。

記しているうちに、75年の涙がでてきます。二度と、私のような人がでないよう、戦争だけはしないような世界になってほしいと思います。

戦争をしないと言うことを、一人一人が言葉にだし、強いメッセージとなり、日本中に広まっていくことを願ってやまないです。

また、九州くちえらぶ島の下の海で、遺骨を拾って下さい。今年行きます。

 H29.4.5               房利、徳子

 

 

 

 私の父はニューギニアで戦死しました。私が生まれたことも知らないままだと思います。

遺骨収集をもっと進めて欲しいと思います。苦労をした母と兄(一緒に住んでいました)も亡くなり、天国で68年振りに会っていると思います。

 平成29年4月

 

 宗門がこの墓苑で、戦没者慰霊 世界平和祈願の法要をさせて頂き始めたのが戦後50年目からです。私も職員としてまた僧侶としてお参りを始めてからも今年で20年となります。私の祖父は僧侶でなりながらも出兵し、34才の若さで、フイリピンで亡くなりました。私の家の墓に、祖父の遺骨はありません。代わりにお経本を納めたそうです。

祖父が亡くなった際は、アメリカ軍との争いの中で、島を移動中に亡くなりました。その時の仲間の方が言われるには、木の元でお経本を読み休んでいたそうです。

3人の子を残して亡くなった祖父の想いを、この墓苑に来るといつも考えさせられます。

そして、平和といわれる日本がこの先も続き、世界が平和になれと、僧侶として念じ続けなければと思っています。

 平成29年4月10日(月)

 

 全ての戦没者の皆様に、心より感謝を申し上げます。

安らかにお眠り下さい。皆様の心は忘れません。

 平成29年4月13日              加藤

 

 私は陸軍歩兵二二八連隊の生き残った者の孫になる者です。

個人的には当方も靖国神社も政治に動かされる事なく、そっとしておいてあげて欲しいと願うところです。生存率12%で日本に帰還した者の孫ですので、88%の日本の土を生きて踏めなかった方の分も考えて生きて行きたいし、時間を過ごして行きたいと考えております。

 2017年4月23日            貴雄

 

    さくらさくら  卯月の空に  君たちと

        花見したいな  出でよこの世に

 

    さくら咲き   見せてあげたや  父母に

        千鳥ヶ淵の  み霊たちにも

 2017.4.29                 四郎

     

 初めて来ました。国や家族、仲間の為に戦った、全ての方々を慰霊する場所がある事を

非常にありがたく思います。戦争で散った命があるからこそ、今日の平和な日本があると思います。どうかこの平和が末長く続いてくれますように。

 2017.5.3

 

  おじいちゃん 「私の事・?」と驚かれて居る事でしょう。

若くして、遠いサイパンで、娘の顔を見ることのできないまま、故郷を思いながら亡くなられたおじいちゃん。はっきりした命日のわからないおじいちゃん。でも、忘れません。

そして、平和のために、何かを。

 5月14日                     香

      

 おじいちゃん、お墓は遠くてなかなか行けないけど、ここは近いので、またママと

(一人でも)来るからね!  靖国神社にも時々足を運んで参拝しています。

日本国を守ってくれてどうも有難う!

「今の平和な生活が有るのは、昔の人々のおかげや」と、おばあちゃんが常に言っていました。

 5月18日                美知代

 

私の祖父も、マリアナ沖で戦死しました。

もちろん平和である事に こした事はありません。

しかし、降りかかる火の粉は、振り払わねば成りません。

その時は、先輩達に続き、立派にこの国を守ってみせます。

平成29年6月11日                自衛官

 

 今年は日本国憲法施行から70年節目を迎えました。そして今年は、大政奉還から

150年、来年2018年は、明治維新から150年節目を迎えます。改めて、その時の近代国家を成立した時の原点と、初代神武天皇の八紘一宇の建国精神と理念に立ち返り、

その下で今まで大切にしてきた神仏習合の思想に基づく、新日本国憲法の制定と国際平和の確立と自国を守れる。自国防衛体制を確立してほしいです。

また、政治改革も行って欲しいです。

 私は、改めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑、靖国神社、護国神社に祀られている英霊に心から敬意を表します。また日本国家の安泰と、御皇居の御安泰と、天皇陛下の御健勝を心から祈ると共に、全世界人類恒久平和を祈願します。

 皇紀2677年(西暦)2017年6月11日       航輝  

 

 時代は戦後70年を過ぎ 今は夢のような「平和」の年で 自由も何不自由のない生活を送らせていただいている私達は、本当に幸せです。

特攻隊・徴兵・・・国のためと若き生命を散らした英霊に、深く感謝して、 これからも恒久平和を示す努力をしていきます。

                      厚木市  56才 

 

 祈るなら   生まれきて世に   幸うすい

  千鳥ヶ淵の   みほとけたちに

    6.29(木)                    四郎

 

 

 緑に囲まれた聖地に参拝出来ました事 心洗われ涙が浮かびました。

現在の平和の世に、私達が生活出来る事は、こうした 数えきれぬ御精魂のお陰と頭を深く下げても、ぬぐえるものではありません。    合掌

                               青山

 

 今日は、靖国神社と共に参拝に参りました。

日本の為に命をささげて下さった英霊の方々がいたからこそ、現在の日本があるのだと感謝しております。  平成29年7月7日    埼玉県      23才 

 

祖父  内山文治様 

 サイパンでのご遺骨収容調査を終え、靖国神社に参拝した後、千鳥ヶ淵に来ました。

もしかしたら、ここにご遺骨があるかもしれませんね。内山家の子孫として、正々堂々

日本男児として、生きていきます。

母 和子  子 舜太郎 美栄を大切にします。

 皇紀2677年7月10日          道

 

 祖父は、ニューギニアのギルワで戦死しました。

まだ見ぬ私達の為に、命を懸けて戦ってくれた。太平洋には、まだ100万人以上の英霊が眠っています。

     みたままつりの日に 千鳥ヶ淵にて

* 渇水の  島で散華し  英霊の  石碑をうるおす  あさつゆの森

* 未帰還の 英霊たちも  わかるよに  高く掲げよ  あまたの献灯(みあかし)

* ギルワにて  散った祖父らに  あえるから  九段にきたら  笑顔でいよう

* いまもまだ  海底に眠る  英霊の  みたまよどうか  やすらかであれ

  2017年7月17日                環 

  

若き23歳の命を、遠きパプアニューギニアの地に、どんな思いをと思うと涙があふれてきます。20年前 ニュギニアのジャングルに元戦友の方達と行き、男泣きして帰国以来

毎年 生ある限り栃木より来て祈りを続けます。

 8月3日                    弟 85歳

 

 今日は、家族4人で来ました。

私のひいおじいちゃんは、パプアニューギニアで戦死しました。

今思うと、 ひいおじいちゃんは本当にすごいんだなと思いました。

毎年、ここに来ていますが、いつもそれを思っています。

ひいおじいちゃん、おつかれ様でした。

 2017年8月11日                聖香      

 

 大賀蓮の葉の上の水に触れました。前日からの雨の恵みです。

母方兄がフィリピン・クラークにて戦死いたしました。

この度私の祖母、おじ、母が何より大切にしてきた故郷の家を、売却することになり、その御報告のお参りに参りました。 許してくださいね。

私達は、あの家がなくなっても、ひとつ!!です。

私の思いを、私の子供達に伝えていくこともお誓いいたします。

安らかにお眠りください。また参ります。

 2017年8月12日(土)

 

 恥ずかしながら、この歳(74才)にして初めて参拝いたしました。

今の日本の平和は、国の為に命を捨てて守ってくれた方々のお陰だと、つくづく思い知らされました。孫達に諸々 話を聞かせたいと思います。

 8月12日                   武田

 

 70才にて初めて参拝しました。

父も戦争経験者で、子供の頃よく話を聞かされ、今 父を思い出しつつ拝見し、胸つまる思いです。戦争で大変な思いをした方々が、今現在の日本の基礎ともっと感謝する心を育てて欲しいです。

 8月12日                  陽子

 

 

  ニューギニア・ギルワで散華した叔父へ

 こんにちは、また来ました。

先日は、御霊祭りでしたが楽しんで頂けましたか?

やっぱり徳島出身なにで、阿波踊りが良かったでしょうか?

♪踊る阿呆に見る阿呆♪って、どっちも阿呆ですものね。阿呆の英霊ってどうなの・・と

思いつつ私も昇殿参拝させていただきました。参拝中には、踊る叔父さんや、あわよくば

かってのエースパイロットたちにもお逢いできるかな、と思うと、ついニッコリしそうになります。でも本当に逢えるような気がするのです。英霊の皆様が、身を捨ててまで戦ってくれたお陰で、私達は日本人として生をうけ、大和民族としての血と誇りを持つ事が出来ました。この血と誇りがある以上、英霊の皆様と、はかなくも繋がっているような気がするのです。国を護るために、二十歳やそこらで散っていった人たちと。

    ニッコリ笑えば必ず逢える 九段下   また来ますね。

      彩雲の  かなたへ海へ  若人は

          終戦の日には  遺骨となりて

      南国で  くだけし遺骨は  みずみずし

          白菊とともに  夏をこえゆく

      夏の日に  ひっそり暗し  六角堂

          英霊たちの  笑顔すずしき

 皇紀2677年8月13日                 環

 

 今春 一度伺いましたが、再度伺いました。

靖国神社はどこか騒がしい感があるのですが、こちらは静寂が支配しており、対照的であると感じました。今日という日は、玉砕しかけて、 生き残って復員した者の孫としても、空襲で焼死した者の曾孫としても、戦争もなく生きられることに「ラッキー」と思うのではなく、「我々は死んだけど、生き残った人の孫、子孫が、良い社会を築いてくれた」と思ってもらえるように、先人から認められるように、頑張りを新たにする日であると感じました。この雨が先人たちの喜びの涙でありますように

 平成29年8月15日                 貴雄

 

 今年はやっと参拝が出来ました。

お父様・伯父様・叔父様・いつも見守って下さりありがとうございます。

兄弟・従兄弟・従姉・みんな仲良しですから安心して下さいね。

お父様・・・私は74才に元気でいます。お父様の顔もわからず・・・いつも寂しく・・

でもお守り下さりありがとうございます。又 早い日にお逢いしに伺います。

ありがとうございます。

 29年8月19日(土)              篤子

 

 戦争から72年・日に日に戦争の記憶が薄れるなか、こうして戦没者の方々の御霊を訪ね、少しでも慰霊が出来た事を嬉しく思います。戦争をどう捉えるか、先の大戦をどう捉えるかは人により、立場により様々だと思いますが、人である以上、自分の愛する人々を死なせたくない、という想いは一緒だと思います。それを日々噛みしめて生きていくことが、少しでも平和の為の力になるとしんじて。

 2017年8月21日 月曜日          倫太郎

 

 すでに他界した父の誕生日でもある24日、昨日に行われたシベリア抑留者慰霊祭の

ニュースを見て、恥ずかしくも本日訪れ参拝した次第です。

モンゴルに長く赴任しつつ、 ウランバートルの慰霊関係の施設は訪ねていましたが、日本のこの千鳥ヶ淵墓苑を訪ねるのを怠っていました。モンゴルに抑留された1万数千余りの人々に思いをはせていた一方、抑留者の全体像、また遺族に遺骨が行き渡らない方々の大きな数字に改めて驚きました。

東京都中心の皇居のそば、緑と堀に恵まれた地にせめて居られることを幸いに、恨み 多くとも、やむを得ない事情のなか、されど日本と世界の人々の幸せを祈る心とともにあっていただければとの思いを届けさせて頂きました。

 2017年8月24日              康

 

 ちはやぶる   神に召されて  花と咲き

    千鳥ヶ淵に   いついつまでも

 2017年8月31日               四郎

 

 祖国の為にありがとうございました。

先人方が命がけで守ったこの土地を、防人として命がけで守ります。 合掌

 2017年9月9日             31才  KS

 

尊い命を捧げられた英霊に、改めて感謝したいです。

なぜ、先人が戦わざるをえなかったのか、本質を多くの方に知って頂きたいです。

祖国を想い、散華された英霊の意志を引き継いでいきたいと思います。

 平成29年9月9日                篤

 

 初めてお参りに来ました。個人的に大東亜戦争について、最近勉強しています。

こちらの事は、恥ずかしながら最近知りました。

先人達の命がけで守ったこの国を、再び戦地にさらさないよう、どうしていけば良いか、真剣に考えていきたいと思います。

 平成29年9月9日             48才 女

 

 初めておまいりをしました。

あれだけ大きいと、たくさんの人がたたかい、一人一人のゆうかんな様子を見せて、天に召されたのがよくわかりました。

 2017.9.18(月)         10才 美月

 

 今日の平和は、多くの人の犠牲によって勝ち得たものです。

 大国が、世界の国々を侵略していく時代の中で、日本もまた、勝ち残るために1つの選択をせざるを得なかったのでしょう。

長い時間の中で、多くのものを失ってきました。絶望と失意のなかで日本は、目覚ましい発展を遂げました。しかしどんな理由があろうと、二度と戦争は起こすべきではありません。

苑の中を歩いていると、ヒンヤリとした空気が流れてきました。おそらく、多くの人達が命を失っていくなかで、残しておいたもの、平和を守って欲しいと訴えられているような気がします。戦争ではなく、争いではなく、共存できる世界を誰もが、分かり合える時代にしていきたいです。

 2017.9.19.(火)         49才 男

 

     千秋を  思いめです   わが胸に

         御霊のさけび  彼岸花 

     彼岸花の  すがたかたちの  美しさ

         隊列つくり  何を語らん

 2017年9月25日             四郎

 

 叔父はパプアニューギニアで散華しました。

「我こそは、太平洋の楯となる」と、文字通り楯となり、祖国を護るために若い命を散らしました。太平洋の美しい島々には、今でも祖国に戻れないご遺骨が、100万人以上そのままになっています。美しい島々の鍾乳洞の奥深くに、また海底に眠る英霊の皆様の、御霊がどうか安らかでありますように。

 皇紀2677年9月25日           環

 

私達の為に戦って下さってありがとうございました

お陰様で幸せに暮らしております。

これを次の世代につなげるべく、頑張っておりますが、なかなかうまくいきません。

どうか私達を助けて下さい。

 2017.10.9             真樹

 

 本日初めて此の地を訪れ、改めて哀悼の心を強くしました。

先月知覧を訪れ、特攻の歴史に驚き、先の大戦での数多の犠牲の御魂の上に、今日の平和があることを痛感しています。

今日はこれから靖国神社を訪れます。再び二度とこの様な悲しい歴史は繰り返してはならないと、心からそう思いました。

 平成29年10月17日(火)                  

 

 毎年靖国神社をお参りしておりますが、本日初めてこちらに参りました。

父は昭和20年6月30日戦死したと伺っております。

私は74才です。1才10ヶ月で父を亡くし、写真でしか思い出はありません。

私達の為に命を捧げ、戦ってくれた父に冥福をお祈りします。

      感謝

 平成29年10月20日(金)        近藤

 

 亡き父が残した、戦死した祖父の日記を読み、祖父が戦死した場所がわかり複雑な心境でした。

ルソン島・ムニオス・・・骨はおそらくその他に残ったまま、多くの方の骨が戻らずにいる。今日の日本は、その方達の魂の元にあるのであろう。感謝いたします。

   平成29年10月26日

    

 父は朝鮮からビルマへ出兵し、戦死とのこと。

私は3才の時、母と姉妹の4人でソウルから讃岐へ引き揚げてきたようです。

頼よれる親類もなく、住む家もなく、讃岐の地を転々と移動。小学校は5回転校しました。

物心ついた時から父がいなかったせいか、諦めきって、特に嘆き悲しむこともなく、又 戦争を恨むこともなく、川の流れに沿って18才を迎えました。

何故か靖国神社へお参りに来たのは、66才にもなってからでした。

ところが2009年から2011年の2年間、偶然にも、この墓苑のすぐ近くで勤務することが出来ました。その間、2年間毎朝夕は靖国へお参りし、昼はランチの後この墓苑へ来て、菊の花を捧げて昼休みをしました。ここは静かで心が安らぎます。

2017.11.2(木)           SM  76才

 

  

 今年も来ました 父上様

私も身体が少し悪くなって来ました。もし私が来られない時は、孫に来てもらうことにしています。

 2017.11.27           明弘

   

戦死の知らせなにもなく、今、せめても千鳥ヶ淵に戻りし事を願いつつ、手を合わせる

 2017年11月6日         岩手   75才

 

 今日、観光で皇居の乾通りの通り抜けに来ました。

前々から、千鳥ヶ淵墓苑には伺いたいと思っていましたが、やっと訪れることができ、無名戦没者の皆様に祈りをささげる事ができ、本当に嬉しく思います。

この様な静かな環境の中で、誰でもが、心からの祈りをささげる事が出来る、国立の戦没者のための墓苑になる事を心から願っております。

 平成29年12月1日(土)           望月 

 

 おぼつかなきこと歩みても わずかに進みて雨ぞ降る

横たえる人ぞ 空しく涙のみつつ

 12月13日(水)               照子

 

 お父さんいつも私達を見守って下さって有難う。

こうして、平和な人生が送られるのは、お父さん方のお陰様と感謝しています。

妻や子を残し、戦死されたお父さんの気持ちを思うと心が痛みます。

私共は、家族全員元気で頑張っています。有難うございます。

私も76才になりました。

 2017年12月17日             タカ子 

 

 恥ずかしながら、今日初めて参拝させていただきました。

今日の平和の為に「無名」として、犠牲となった方々に深い反省と感謝とで一杯です。

再び戦渦の悲劇が起こらぬように、御見守り下さい。

 平成29年12月23日(土)             埼玉より参拝

 

年せまり  今年最後の   白菊を

    ささげて祈る  千鳥ヶ淵墓苑

 2017年12月30日(土)快晴           玉木

 

 以前の職場の方から、「靖国と一緒に参拝して、初めて“戦争”を語れる」と聞いてから、もう4年も経ちましたが、やっと伺うことができました。

靖国神社は参拝すると、よくテレビで観ていましたが、戦争に行かれた人、その人の家族全員が傷を負っていると思いました。

今日の日本が戦争から遠のいているのは、靖国神社・千鳥ヶ淵の墓苑で眠られている人々がいてこそだと思います。私の祖父母、曾祖母から「もう戦争はいやだ」と聞いて育ってきました。

みなさま、代々からの伝えたかったことを、これからの世代に私からも伝えられるように頑張りたいと思います。

 H29.12.30(土)             加野