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千鳥ヶ淵戦没者墓苑の沿革

墓苑の建設

先の大戦に際し、海外の戦場で戦没された方々は、軍人・軍属で約210万人それに戦火に巻き込まれて死亡した一般邦人約30万人で、合わせて約240万人と言われております。昭和27年頃から、我が国政府により、この御遺骨の収集が開始されましたが、御遺骨の収集に伴い、収集した御遺骨で氏名不詳のため御遺族にお渡しできない御遺骨をどうするかが大変大きな問題でありました。昭和28年12月、国でそれらの御遺骨を埋葬する墓を建設することが決定されましたが、戦没者の墓の建設が具体化するまでには、建設用地の問題等に関して紆余曲折が大分ありました。昭和31年11月、千鳥ケ淵の側にあった宮内庁管理用地を使用して、建設されることになりました。昭和33年7月漸く着工の運びとなり、昭和34年3月28日、戦没者墓苑は竣工しました。

この日、昭和天皇、皇后両陛下の御臨席をいただき厳粛盛大な拝礼式が戦没者墓苑で執り行われました。 戦没者墓苑の建設経緯については、別紙「千鳥ヶ淵戦没者墓苑の建設経緯」 open_in_new を参照されたい。

昭和天皇からお骨壺と御製の御下賜

昭和天皇の戦没者に対する御心痛は深く、当戦没者墓苑が竣工するにあたり、お骨壺を御下賜になりました。このお骨壺は、高さ28.3㎝、最大径23.8㎝の大きさのお茶壺の形をしたもので、表面を金箔3枚掛2度おきの手法で覆われており、戦没者の御霊が安らかにお休みされるよう配慮されております。このお骨壺には、各戦場の全戦没者を象徴するお骨を少しずつ納骨して、六角堂中央の茶色の陶棺の中に安置されております。 また、墓苑竣工の年の秋には、戦没者に対して次のような御製を賜りました。

「くにのためいのちささげしひとびとの ことをおもへばむねせまりくる」

昭和天皇御製の碑の写真

「写真」昭和天皇御製の碑

戦没者墓苑奉仕会では、昭和天皇の御心のこもったこの御製を永く後世に伝えることを考え、御製を石碑に刻み戦没者墓苑内に建立することとなりました。 「御製の碑」は、御製の謹書を秩父宮妃勢津子殿下にお願いし、それを花崗岩に刻んで六角堂前の庭に建立しました。昭和35年3月完成して、奉仕会から国に寄付されました。

慰霊行事等

千鳥ケ淵戦没者墓苑では、毎年厚生労働省主催の拝礼式及び(公財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会主催の秋季慰霊祭が行われるほか、民間団体の慰霊行事が年間を通じてしばしば行われております。 民間団体の慰霊行事は、それぞれの形式で行われ、仏教形式によるもの、キリスト教形式によるもの、神式で行われるもの等それぞれの信じる形式で行われております。

墓苑に関するご質問は奉仕会 TEL:03-3261-6700まで